アイドルという職業について
毎日お仕事ご苦労様です。
できたら楽しくお仕事ができたらこんなに幸せなことはありません。ただ、たいていの人はみんな、やりたくもない仕事を、歯を食いしばって頑張っています。
その中でも、アイドルという職業は、みんな楽しそうでキラッキラしてて、一部の人からすると「遊びながらお金稼げたらこんな楽なことないよね」って思われたりもするんじゃないでしょうか。昔の私がそうでしたから。
モーニング娘。の工藤遥さんが卒業すると聞きました。友達が推しているし、私も現在のメンバーの中で唯一知っていて、好きだと思えたメンバーですからすごく衝撃的なニュースでした。
理由は、やりたいことができたから、だと聞きました。芝居をやりたいらしいんですが、それに対して、批判のコメントを見てしまったのが、今日ブログを書きたいと思った動機です。
結論からいうと、アイドルに限らず、女性という性では、男性よりもずっとずっと、大人になることを求められているような気がするんです。
私がジャニーズ含めアイドルグループが好きな理由って、いつまでも子供みたいにケラケラ笑っていられるところです。でも、アイドル、特に女性アイドルにはだいたい「卒業」や「引退」がつきまといます。ジャニーズは続けていくことを前提としたアイドル像を作った初めての会社なんだとはほんとに思っています。(某Sグループのことはだいぶ腹立たしいですが一旦脇に置かせてください)
最近では、男性がずっとアイドルをしていることに関しても寛容な世の中になってきていますが、女性はやはり子供を作って家庭を維持していくことを考えてみると、続けてはいけないとか、そういう雰囲気があるんでしょうか。今の文化のままだと、男性アイドル(40)は賞賛され、女性アイドル(40)は「いい歳して」って言われる世の中がずっと続くのでしょう。
それは家庭のことに限らず、やりたいことをやるためにアイドルというものをやめなきゃいけないという考えにも繋がっているような気がします。役者としてやりたいから、歌手になりたいから、アイドルをやめる。でも、やってることって、演技をしている時間が長くなった、歌ってる時間が長くなったというだけで、そこまで変わっていないような気がします。
そこで思い出すのが、いつか横山裕が言っていたこと一言。
「(俳優も、お笑いも、歌も、なんでもやりたい)だから、ジャニーズなんですよ。」
アイドルだったら芝居やったらポシャるとか、歌なんか下手くそだからやめろとか、そういうことを言っちゃう人たちにこの言葉を聞かせたいよね。
アイドルっていうマルチにできるステータスがあるから、なんでもやって許される(許されるっていい方はちょっと語弊があるかもしれないけど)んじゃないのかって問いたい、私は。
でも、女の子がアイドルをやめなきゃいけない状況がいつまでも続くのは、やりたいことがあるならそれだけをやらなきゃいけない、一つに絞れないのは子供じみている、なんていう考え方がずっとずっと蔓延っているからなんじゃないのかな。
そうそう、余談ですけど、もし、卒業も引退もない女子ドルが居たとしたら、小林麻耶さんみたいな感じになるんじゃないのかなって思います(笑)いいじゃん、かわいいじゃないか「おばさんアイドル」。(誤解を恐れずに勇気を振り絞って言った一言だということは汲んでほしい←)
ハムレットと自分を重ね合わせて
こんにちは。
夕陽が沈みかけている中、私はただいま大阪の梅田を出て、名古屋へ帰るバスの車内におります。
今回は、友人の誘いで、Patch Stage vol.10 「羽生蓮太郎」という作品を見にきたわけなんですが。
やっぱり劇場という空間は素晴らしいですね。
何百人収容の大きな劇場ももちろん素敵ですが、小劇場は役者さんの息遣いや表情だけでなく、照明の動きやステージの天板までよく見えていいですね。
よく私は大なり小なりの舞台を観に行った時「生きてた!!」って感想を口にすることが多いんですが、役者さんが自分と同じ空間に生きて、私たちの頭の中とは離れたところで動いている(言ってしまえば当たり前のことですが、俳優さんやアイドルの応援をしていると二次元のもののように錯覚してついつい忘れがちになってしまうような気がします)ということが手に取るようにわかるのが小劇場ですね。
いろいろと思うことはたくさんあったんですが、追加公演もまだ終わってないことですしそれはLINEでお友達と共有することとして。笑
今日私が車内の暇つぶしとして書こうと決めたトピック。それが羽生蓮太郎のワンシーンにあります。
羽生蓮太郎というお芝居は、有名なシェイクスピアのハムレットを原作としています。私が強く惹かれたのは、「ハムレットを原作としている」だけで終わっていないところです。
タイトルをもじって日本風にアレンジしたり、タイトルだけ借りて全く違うストーリーを作り上げるというものはよく聞きますが、それらは原作と並行して同じ次元に存在しないことが、明言されないうちに共通認識としてあるような気がします。
しかし、羽生蓮太郎は、ハムレットという原作を同じ次元に共存させて、そのうえに自分の状況を重ねた主人公蓮太郎が「俺はハムレットやない。」と原作に対抗します。原作の存在を劇中で認め(認め、なんて言葉を使うとよくないのかもしれないけれど、)それも引っくるめて、ストーリー展開にうまく取り入れられていて、原作に付かず離れずの良いお芝居だと私は思いました。
そして、重ね合わせるという点でもうひとつ。
私、人の好きな人ばっかり好きになっちゃうんです。
人に限らず、物だったり音楽だったりもそうなんだけど。
誰かが好きって言ってたから、聴いてみたら好きだった、見てみたら好きだった。でも、あんまり自分から開拓できたことはありません。それってすごく他人に流されてるようで、自分がないようなことなのかなって思ってました。
でもね、私はどこか、好きな人たちを自分とその友人の関係性に重ね合わせて見ちゃうところが人一倍強いみたいなんです。
長いこと友達をやってくれてる人たちならきっと「あー、あにょってそうだわ」って笑ってくれると思います。
趣味や好きな物って私の中では、自分の分身なんです。だから、誰かを好きだからこそ、その人の好きはできるだけ好きでありたい。
それだけ思いを強くしてしまうからこそ、いざ喧嘩した、嫌いあって離れた、なんてことがあると、好きだったものも嫌いになっちゃうのがよくないんですけどね(笑)
結局何が言いたいのかいつも通りフワッとしてもうた.....
とにかく、楽しい2日間でした!
また、大好きな友達と一緒に大阪で観られたらこんなに幸せなことはありません。
素敵な週末をありがとうPatchさん。
これからも応援します。
錦戸担の私が錦戸亮のいないNEWSを好きになった理由。
美しい入り江
今日はもう眠くなって来たので手短に。
OKAMOTO'Sが、Google翻訳とコラボして発表した"Lagoon"という曲のミュージックビデオがカッコいいです。
Google翻訳はスマートフォン搭載のカメラを利用し、カメラに写した文字列を別言語に変換するアプリで、最近Twitterでなんかのアニメみたいでカッコいいって話題になってますよね(何のアニメかわからないってのが私の詰めの甘さ)
Lagoonは元々ミュージックビデオのない曲だったみたいなので、今回新たに作られたのがこのGoogle翻訳コラボというやつらしいんですが、画面の下にスマートフォンが置かれて、元の映像と文字列翻訳後の映像がシンクしてるっていう面白いビデオです。街の中のシャッターに書かれた文字列、レコードのタイトル、スケッチブックの文字、ラーメン屋のメニュー表など、街中にごくごく普通にある文字列がパッと違和感なく別言語に切り替わる様がすごく面白いです。(演出として精度が上がっているだけかもしれませんがそこは目をつぶりましょうw)
なんとなくなんですが、スマートフォンをかざしたらすでに変わってるんじゃなくて、一回文字列がそのまま写ってからパッと翻訳されるところが好きですね。「変わった!!」って感動があるからなんでしょうか。
あと個人的にひとつ気になっているのは、
最後「DETECTIVE」って書かれた眼鏡をかけている人が、画面の中のスマートフォンを見つけて押収するってシーンで終わるんですよ。
ラーメン屋にいるシーンでも、文字列の入った眼鏡をかけている人が何人か登場するんです。その人たちはカメラに写って翻訳されます。だけど最後のDETECTIVEさんだけは、眼鏡がギリギリ写らないように近寄って来てスマートフォンを押収していくんです。
なんか意味があるのかな。DETECTIVEだからバレちゃいけないとかそういう意味かな(笑)
気になった方はぜひご覧ください
三浦春馬という役者
Errorという歌
私的ベスト5に入るErrorという曲があります。
Hey Hoというシングルのカップリングになっている曲なんですが、深瀬さんにしか書けない物語テイストで、強い言葉を惜しまず使う歌詞が好きです。
歌詞をまるっと全部書くと最近はkスラックとかいう人たちがうるさいみたいなので、簡単に歌詞の内容を紹介します。気になる人はぜひ聴いてください。
主人公はロボット。人殺しのために作られた兵器です。そんな彼は上官からずっと「人を愛すと自分が弱くなるからだめだ」と教え込まれ、人を傷つけることで褒められて育ってきました。そんなある日、たった1人で戦っている女性に恋心を抱きます。いっぱいの花束をあげたり、料理を作ってあげたり、アプローチを試みますが、なんせ相手は人間ですから、気持ちなんかわかるわけありません。しかし、不器用ながら彼女に接していく中で人を愛することを覚えます。そこで頭をよぎるのは、叩き込まれてきた「愛し、守るものがあると弱くなる」という教え。葛藤する彼に想い人はこう言い聞かせます。「自分の弱さを知れるのは強いということなの」と。
ここまでが大筋。
この後にやってくるのが、今回考察したい歌詞になります。
『夜空に容赦なく降る銃弾
弾が当たったことなんかなかったのに
腕の中にいる君を見てわかったんだ
僕は君の家族になりたかったんだ
*僕は戦うために作られた
軍事用ロボットとして生まれた
たくさんの人を傷つけて
勝つたびに褒められた』
(SEKAI NO OWARI / Error)
*の部分は歌い出しと同じです。
ここでとっても気になるのは、
①誰が死んだ(壊れた)のか
②*の部分で彼は何を思っているのか
僕は君の家族になりた「かった」と言っていることもありますが、深瀬さんの書くラブソングにはバッドエンドが多いので、この恋は実らなかったものだと想像がつきます。ただ、深瀬さんの書くラブソングの実らなさは、片想いのせいではないことが多いです。この曲と対にされることが多い不死鳥という曲は人間の彼が不死身の彼女に恋をする話になっており、スノーマジックファンタジーでも人間の彼と妖精との恋を描いていますが、全て「死」が2人を別ちます。
銃弾の中を逃げ回ってるわけですから、そりゃあどっちか死ぬ(壊れる)に決まってますよね(笑)
ただ、気になるのは、「弾が当たったことなんかなかったのに」という文言があるということは、少なくとも彼の方にもダメージがあるはずです。しかし、「腕の中の〜」という歌詞から、腕の中にいる今にも息絶えそうな彼女を見て、という解釈もできます。
別にどっちが死んだかとか別にいいじゃん!っていうとね、私からしたらそうじゃないんですよ。どっちが死んだかわからないと、最後にして最大の謎である②*の部分の解釈がだいぶ変わってくるわけです。
なぜ、歌い出しと同じ歌詞を最後に持ってきたんでしょうか?
どうやって聴いても、人を愛することを知らなかった頃の彼とは全然違うような気がします。
では、どちらが死んだかをケース別にして*を読み解いてみます。
⑴彼が壊れた
戦うために作られた自分を回顧し、嘲笑い、愛を知った自分に満ち足りた思いを抱いているように聴こえる
⑵彼女が死んだ
愛を知らなければ強いままでいられたと思い、心を閉ざしてしまった、もしくは「やっぱり戦うことが運命なんだ、逆らえないんだ」という虚無感を感じる
ここまで書いていたら、⑵の線がやっぱ濃厚かなと思えてきましたね。状況的に彼女が死んでそう。腕に彼女抱く体力が残ってるのにいきなり壊れないでしょ(笑)
あとは、彼女が死んだ悲しみで再び「エラー」を起こして記憶が飛んだか、ってとこですかね。
ここまで考えさせる(というか勝手に考えてるだけやけど)深瀬さんの歌詞本当に好きです。殺しちゃおうとか歌詞に書けちゃう深瀬さん好きです。
タルカス楽しかったです。ありがとうございました。